神功皇后
更新日: 2011年01月09日 16:45:26
名称 | 神功皇后 |
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ふりがな | じんぐうこうごう |
別称 | 気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと) 息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと) 大帯比売命(おおたらしひめのみこと) 大足姫命皇后 |
神格 | 聖母神、武神 |
御神徳 | 武運、勝負運、入試合格、厄除け、病魔退散、安産、子育て、家内安全、開運福徳 |
神仏習合 | 聖母大菩薩 |
仲哀天皇の后で、応神天皇の母。天皇は生きている間は名前を持たず、亡くなってから贈られるが、「神」の字を贈られた天皇は神武・崇神・応神の3天皇しかいない。神功皇后もまた同様に偉大な存在だったことがうかがい知れる。
最も有名なエピソードは、朝鮮半島に出兵し、戦わずして新羅・百済・高句麗を降伏させたという「三韓征伐」のくだりである。仲哀天皇が熊襲を討つため筑紫(福岡県)の香椎宮(かしいぐう)に訪れたとき、神功皇后が神がかりして「新羅を平定せよ」という住吉三神の神託が下った。仲哀天皇はそんなバカなと非難すると、神の怒りに触れて死んでしまう。そこで再度神託を伺ったところ、「国は皇后の腹にいる子が治めるべし」という。神功皇后は天皇に代わって朝鮮出兵を決意し、自ら指揮を取る。
遠征の途中で産気づいたが、石で冷やして出産を遅らせ、三韓征伐を果たし凱旋してから応神天皇を産む。その後は皇太子(応神天皇)の摂政となり、100歳でこの世を去ったと伝えられている。このようなエピソードから、神功皇后は「巫女(シャーマン)」「武神」「聖母」の性格を持つ。神社では応神天皇と共に八幡宮に祀られることが多い。
神功皇后のパワースポット |
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