安土城跡
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更新日: 2014年06月04日 18:51:40
戦国の世を終わらせようとした、神の反逆児の居城。
名称 | 安土城跡 |
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ふりがな | あづちじょうあと |
主祭神 | 城跡(神殿跡) |
創建 | 1579年 |
住所 |
滋賀県近江八幡市安土町下豊浦 ⇒地図と周辺情報 |
アクセス | JR「安土駅」より徒歩20分 |
別称 | |
属性 | 古代遺跡、石など無生物 |
公式HP | http://www.biwako-visitors.jp /search/spot.php?id=831 |
戦国時代の寵児・織田信長の居城である。琵琶湖に接し(昭和に干拓され現在は離れている)、石垣の上に天守が建てられ、「近代城郭の始まり」といわれている。しかし近代城郭では例外的に「平山城」であり、軍事的には矛盾だらけの造りとなっている。そう、安土城は、戦闘用ではなく、宗教的シンボルを目的に建てられた城なのである。
その様子は宣教師ルイス・フロイスや司祭ジョアン・フランシスコなどの記録によってのみうかがい知れる。約300段の石段をのぼり、石垣にかこまれた天主(天守)はまるで宮殿のよう。7階建てで、内部4層は吹き抜けとなっており、中央に宝塔が建つ。あらゆる壁には狩野永徳一派による美しい障壁画が描かれ、外壁は金色に輝いていたという。そして、障壁画は5階に釈迦を描き、6階に中国の帝王や聖人を描き、最上階には中国の伝説の帝王を描いた。信長は“神”を超越し、伝説の帝王になることを望んでいたのかもしれない。
信長は、自身のことを「第六天魔王」と称していたと伝えられる。第六天魔王とは、仏教の世界観で、「欲界」を司る世界の支配者のことで、仏教の敵とみなされている。なお、むかし信長は無心論者だったという説が有力だったが、現在は否定されている。
安土城跡の御利益 |
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開運福徳 (特に開運招福) |
安土城跡のお参りの仕方 |
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●入山料(大人500円、小人100円) |
安土城跡の沿革・歴史 |
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1576年 築城開始 |
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